古びた雑居ビルの五階。階段を上がると、少し埃っぽい廊下の突き当たりに「夢占い ゆめうら」という手書きの看板が目に入る。看板の横には、暖かな光を放つ提灯が吊るされていた。
六畳一間のその部屋で、夢占い師の山城ユメ子、通称「ゆめうら」は今日も依頼人の話に耳を傾けていた。
「それで、その夢なんですけど…」
目の前に座る女性――佐藤美咲さん(28歳)は、手帳を開きながら話し始めた。彼女が見たという夢は、こんな内容だった。
「私は真っ青な海の中にいました。でも、不思議なことに普通に呼吸ができるんです。周りには色とりどりの魚が泳いでいて、特に印象的だったのが、金色に輝く大きな魚。その魚は私のことをじっと見つめていたんです」
美咲さんは夢の中の情景を思い出すように、少し目を閉じた。
「水の中なのに、風鈴の音が聞こえてきて…それから急に、海の底に一軒の古い家が見えてきました。屋根には苔が生えていて、窓からは優しい明かりが漏れていました。なんだか懐かしい気持ちになって、その家に近づこうとしたんです」
ユメ子は、真剣な表情で美咲さんの話を聞きながら、時折うんうんと頷いていた。彼女の前には、古ぼけた和紙に書かれた夢判断の書物が開かれている。
「でも、その時…突然海が渦を巻き始めて、私は引き込まれそうになったんです。怖くなって逃げようとしたら、さっきの金色の魚が現れて、私を助けてくれました。そのまま海面まで連れて行ってくれて…目が覚めたんです」
話し終えた美咲さんは、少し困ったように微笑んだ。「変な夢ですよね…」
ユメ子は目を閉じ、深いため息をつきながら考え込んだ。彼女の占いは、古い書物の知識だけでなく、長年の経験から得た直感も大切にしていた。
「この夢ね…」ユメ子は静かに話し始めた。「あなたの中に、何か忘れかけていたものがあるんじゃないかしら」
「え?」
「海は心の深層を表しています。そして、その古い家。あなたの心の奥底にある、大切な記憶の象徴かもしれません」
美咲さんは、何かを思い出したように目を見開いた。
「実は…最近、実家を取り壊すことになったんです。祖母が住んでいた家なんですけど…」
ユメ子はにっこりと微笑んだ。「その家で、素敵な思い出はありますか?」
「はい…祖母とよく風鈴を見上げながら、夏の夕暮れにスイカを食べたり…」
美咲さんの目に、うっすらと涙が浮かんだ。
「金色の魚は、あなたを導く存在。きっと、祖母からのメッセージかもしれませんね。家がなくなっても、大切な思い出は消えないということ。そして、新しい場所でも、その思い出とともに生きていけるってことじゃないかしら」
その瞬間、窓を通して差し込む夕陽が部屋を金色に染めた。まるで、金色の魚が泳いでいるかのように。
「あ、そうだ」美咲さんは突然思い出したように言った。「祖母の形見の風鈴、まだ実家に残っていたんです。取り壊す前に取りに行かなきゃ」
帰り際、美咲さんは晴れやかな表情を見せた。「ありがとうございました。不思議な夢でしたけど、何か大切なことを思い出させてくれた気がします」
ユメ子は、美咲さんを見送りながら、ふと思った。夢は時として、私たちが忘れかけている大切なものを教えてくれる。それを解き明かすのが、自分の仕事なのだと。
窓の外では、夕暮れの街に風鈴の音が響いていた。